言葉の解りやすさについての自分への戒め

ウェブサイト制作に携わる人は、通常専門的な知識水準が高い。これは当たり前のことである。しかし知識が豊富であれば良いウェブサイトが作れるか?というとそれはイコールではない。
最近、自分の表現する言葉がまだまだ借り物の知識だなと感じることと、ある案件で一緒にやっているディレクターの書いた提案がやたら解っていることを前提としていたので自分に対する戒めとして書いておこうと思う。
職業としてウェブサイト制作に携わっている場合、その売り先は一般的なユーザであり、ウェブのことを良く解らない担当者であることが多い。例え魅力的な提案書を書いたとしても、どんなに時間をかけて校了したとしても、その提案書に書かれている言葉、文章が彼らの位置まで降りてこないと理解されることは無い。
例えば訪問者に訴求力のあるコンテンツ(訴求力という言葉も?なのだが)から最終的なウェブのゴールである資料請求・お問い合わせ完了までを一つの導線として設けたとして、その導線を使う側の視点に降りて説明するのは非常に難しい。というのは専門的な知識を噛み砕き自分の言葉で表現できるところまで落とし込まないと解りやすく説明できないからだ。
某有名なユーザエクスペリエンスを標榜する大手制作会社さんのようにある程度レベルの高いクライアントとの付き合いをしているならまだしも、悲しいかなまだ私のいる会社はそういうレベルではない。であるならばそういった制作会社と同レベルの言葉、もっと言うと本に書かれている知識で知り得た思想を解りやすくなるまで分解する作業の積み重ねが自分の身となりやがては高い水準のクライアント(何)までたどり着けることになるのではないかと思うのであるある。